ある親父のつぶやき

親父から頂いた手紙の内容の記録

何を誰をどのように守るのか つぶやき(2)

日本国の何を、誰を、どのように守るか(2)

 

世界で、最初の原爆被爆国の日本が、無反省・無責任・思考停止など

沖縄戦・広島・長崎を忘れて、原発再稼働を目指し、原発輸出に

狂奔する政治には、国民の安全や暮らしを守る姿勢は見えていません。

 

国家財政の危機・様々な格差の拡大、沖縄等米軍基地の恒久化などが、

国民市民の生活と安全と暮らしに、暗い影を落としています。

現状の政治をみていると、敗戦後が、いつの間にか新たな戦前の姿に

なってしまっているように見えています。

 

 なぜなのか。 「Why?」と肩をすくめる白人男性のイラスト

 

 敗戦後の日本の政治が、これまでの過去の歴史と向き合うことが無く、

過ちを反省せず、現実から目をそむけて、課題・問題を先送りにして、

責任回避。戦争の責任を追求せず、

すべての事を曖昧にして来たからであると思います。

 人類が、日本の国が歴史を学ぶのは、「戦争をしたという失敗」を

再び繰り返さないためである。

「宣戦布告して戦争を起こして、敗戦したという失敗」を認めたくない。

という心理は、

「現実を認めることによる不安を回避するための心の防衛反応」

 言葉での誤魔化しに繋がっています。

 具体的には、

「敗戦した事を終戦」と言い換え「武器輸出を防衛装備移転」と言い換え

 思いやり予算という呼称で取りつくろわれた「対米従属」

 同調圧力で調和を装う、敵対性の否認など。

 また、戦時中にはその戦場で負けたら転戦だと言い換え、

 太平洋の島々で武器も食料も足りずに全滅すると、日本軍は

 玉砕だと言い換えて、国民に対して真実を覆い隠そうとしてきました。

 

 敗戦後の若者たちに事実を教えて、真実を伝えていかなければ

 戦争は無くならないでしょう。

 

 先の太平洋戦争で、日本人の死者は300万人、アジアを含めて

戦争の死者は約2千万人に上ったと言われています。

歴史学者、E・H・ノーマンは

「歴史で大切なのは、全体の輪郭と肝要な細部である。」

と言っています。

太平洋戦争をはじめとして、

「あらゆる戦争の戦死者ひとりひとりの無念」と

「生き残った人間の戦争体験」こそ肝要な部分であり、

歴史の土台であると私は思います。

だから私たちは、戦争へのいかなる動きも

拒否する必要があります。

 

E・H・ノーマン - 検索 (bing.com)

 

 文部科学省は、太平洋戦争・沖縄戦の記述で、

「日本軍より、集団自決の死者が多いから、住民自らが命を断った

集団自決を触れなければ、教科書として不十分である。」と述べています。

この集団自決とは、皇室・大本営皇民化教育の結果なのです。

日本帝国の誤った国民教育が悲惨な、無惨な集団自決をもたらしました。

沖縄戦戦没者は約20万人。このうち一般住民は、

15万人を上回ると推計されています。