ある親父のつぶやき

親父から頂いた手紙の内容の記録

なぜ争い?のつぶやき1

なぜ、この様なことを、何の為にするのか1

 

太平洋戦争、第二次世界大戦、玉砕や餓死、

戦争末期の日本各地の空襲や沖縄戦

広島や長崎の原爆の悲惨さを日本人として

知っておくことは重要で必要な事と

思います。

 

同時に戦争の原因となった

満州事変から戦争は拡大、アメリカ、イギリス諸国に戦線布告、

奇襲攻撃、開戦に至る歴史を、自分から学び

戦争という熱に浮かされたような時代の空気の怖さを知ることが、

大切であると感じる。

その満州事変という戦争へ続く道の始まりに、

偽りの報道やニュースがあったということを、

私達は肝に銘じておかなければならない。

 

1931年9月18日の夜、中国北東部・満州

奉天(現瀋陽)の郊外、柳条湖で、鉄道線路が

爆破されました。

駐留していた日本の関東軍

「中国軍の仕業である。正当防衛の為にやむを得ず応戦した。」

と発表。 軍事行動を開始しました。

実際は満州侵略を狙っていた関東軍の策略・謀略でしたが、

この事実が明らかになったのは、戦争後の事でした。

 

当時は関東軍が発表する謀略・偽りのニュースを、

新聞とラジオは大々的に伝えて、国民の間には「戦争をするべきだ」

との戦争開始を指示する声が広がっていきました。

(今のどこかの国と同じでしょうか)

 

当時の山陽新報の紙面によれば、2週間後の10月2日、

岡山市内で時局講演会が開催され、その講演会では、

砲弾の破片を見せながら、満州の現地報告会と、

国民の覚悟を促す講話が繰り返し行われ、

聴衆に感動を与えたと、その記事は伝えております。

また紙面からは日ごとに戦争への熱が

伝わってくるようです。

政府・大本営の情報統制が厳しいせいもありますが、

報道機関のあおりと熱のせいも大きいと思われます。

 

 

やがてその結果、日本は国際連盟から脱退して

何百何万人何千万人も戦死傷者、苦しみの人々がでる

泥沼の戦争に進んでいきました。